戌 男 雑 感
私が生まれた昭和9年戌年は、佐世保にもゆかりのある人、東郷平八郎元帥の死去、そしてワシントン海軍軍縮条約の破棄通知が決定されたそうです。支那、満州に於ける不穏なるいろいろな出来事が続き、支那事変へと続く暗い社会が迫りくる時代でした。
そして当時の尋常高等小学校に入学した頃は、日支事変の眞ただなかで、支那に進軍する兵隊さんの絵本の中で育ちました。昭和16年には今次の世界大戦が始まり、やがて長崎、佐世保をはじめ全国各地の街が焦土と化し、敗戦を迎えたのです。
二度目の戌年昭和21年に、旧制の中学校に入学しました。戦後の荒れはてた校舎では復学してきた特攻帰りの中学5年の20歳近くの先輩たちに気合いを入れられ、又それを庇ってくれる優しい先輩もいてそれはそれで結構楽しい中学生活だったことを思い出しています。その頃の日本は食糧不足の最悪の社会で、毎日毎日空腹をかかえ、大人たちは、食べる物の調達に追われていました。今考えると当時は勉学どころではなく、高校を卒業する頃は職はなく、多数の学友が自衛隊(当時は警察予備隊と称した)へと進みました。
昭和33年の3度目の戌年の頃は、ようやく社会も落ち着き、時の総理大臣は岸信介氏で、現天皇陛下が民間人正田美智子様との婚約が発表され日本中が明るい話題に湧き立ちました。景気も良くなり東京タワーが建設され、1万円札が発行されました。一方で赤線の灯が消えることになり少し淋しく感じた男性も多くさんいたのではないかと思いました。
更に昭和45年の戌年は私の二男が生まれたので良く憶えております。そう大阪万博の年でした。
五度目の戌年昭は57年は、長崎では大水害で約300名の方々の死亡、行方不明者がでて大変悲しい年でした。次の戌年は平成6年となり政界は大変で総理大臣が細川、羽田、村山さんと3人も変り、又、北朝鮮の金日成氏が急死された年でした。一方で、大関貴乃花関の二場所続けての全勝優勝そして横綱昇進、ロンドン、パリ間の海底トンネル開通に日本の土木技術が大いに貢献し、向井千秋さんが宇宙に飛び出した明るいニュースもありました。
こうしてみると今年7度目の戌年はどんな年になるのでしょうか、景気が良くなり不動産取引が活発化すれば我々調査士の仕事も増えるのではないかと思う一方で、ますます複雑化する社会に対応すべく私もいっそうの努力をせねばならないと決意を我にした正月です。
72年間何とか元気で生かされたことに対し心から感謝するとともにこれからのも健康第一を心がけ、次の戌年に備えたいと思います。とりもなおさず、健康のため続けているゴルフについて、一つの目標であるエイジシュートを次の戌年迄には是非達成したいと念願している次第です。
そして当時の尋常高等小学校に入学した頃は、日支事変の眞ただなかで、支那に進軍する兵隊さんの絵本の中で育ちました。昭和16年には今次の世界大戦が始まり、やがて長崎、佐世保をはじめ全国各地の街が焦土と化し、敗戦を迎えたのです。
二度目の戌年昭和21年に、旧制の中学校に入学しました。戦後の荒れはてた校舎では復学してきた特攻帰りの中学5年の20歳近くの先輩たちに気合いを入れられ、又それを庇ってくれる優しい先輩もいてそれはそれで結構楽しい中学生活だったことを思い出しています。その頃の日本は食糧不足の最悪の社会で、毎日毎日空腹をかかえ、大人たちは、食べる物の調達に追われていました。今考えると当時は勉学どころではなく、高校を卒業する頃は職はなく、多数の学友が自衛隊(当時は警察予備隊と称した)へと進みました。
昭和33年の3度目の戌年の頃は、ようやく社会も落ち着き、時の総理大臣は岸信介氏で、現天皇陛下が民間人正田美智子様との婚約が発表され日本中が明るい話題に湧き立ちました。景気も良くなり東京タワーが建設され、1万円札が発行されました。一方で赤線の灯が消えることになり少し淋しく感じた男性も多くさんいたのではないかと思いました。
更に昭和45年の戌年は私の二男が生まれたので良く憶えております。そう大阪万博の年でした。
五度目の戌年昭は57年は、長崎では大水害で約300名の方々の死亡、行方不明者がでて大変悲しい年でした。次の戌年は平成6年となり政界は大変で総理大臣が細川、羽田、村山さんと3人も変り、又、北朝鮮の金日成氏が急死された年でした。一方で、大関貴乃花関の二場所続けての全勝優勝そして横綱昇進、ロンドン、パリ間の海底トンネル開通に日本の土木技術が大いに貢献し、向井千秋さんが宇宙に飛び出した明るいニュースもありました。
こうしてみると今年7度目の戌年はどんな年になるのでしょうか、景気が良くなり不動産取引が活発化すれば我々調査士の仕事も増えるのではないかと思う一方で、ますます複雑化する社会に対応すべく私もいっそうの努力をせねばならないと決意を我にした正月です。
72年間何とか元気で生かされたことに対し心から感謝するとともにこれからのも健康第一を心がけ、次の戌年に備えたいと思います。とりもなおさず、健康のため続けているゴルフについて、一つの目標であるエイジシュートを次の戌年迄には是非達成したいと念願している次第です。
年 男 に 際 し
新年明けましておめでとうございます。佐世保支部ではその年、厄入、還暦、喜寿等を迎えた人を、支部で祈願する慣わしになっている。今まで祝う方であったが、今年は私が祝ってもらう方になった。つまり戌年生まれの年男で還暦である。
ついこの前、厄入りし、同じく佐世保支部で祈願祭をしてもらったと思っていたが、時の経つのは早いものである。光陰矢の如し、である。ただ、未だもってその実感が出てこない。私たちが生まれたのは昭和21年で、戦地に行っていた父親たちが復員し、最初に生まれた子供たちであった。つまり団塊の世代の始まりである。高度成長期には、馬車馬のごとく働き、この日本を引っ張ってきた世代である。私は昭和54年に調査士会に入会し、今日まで大過なく過ごし、気付けば、還暦を迎えたのかと思えば感無量である。その間、調査士会を取り巻く環境も大きく変化し、不動産登記法の大改正に始まり、筆界特定手続代理業務や民間紛争解決手続代理業務等、今までの調査士業務では考えられなかって業務が新設され、果たしてこれらについて行けるか心配である。
大きく変化している時代であるが、今までは私事ばかりしていたが、これからは少しでも社会に役立つことをしてみたいと思っております。
調査士会においても同じで、第一線は若い人にお任せし、バックで少しでも応援できる仕事をしたいと思っております。
ついこの前、厄入りし、同じく佐世保支部で祈願祭をしてもらったと思っていたが、時の経つのは早いものである。光陰矢の如し、である。ただ、未だもってその実感が出てこない。私たちが生まれたのは昭和21年で、戦地に行っていた父親たちが復員し、最初に生まれた子供たちであった。つまり団塊の世代の始まりである。高度成長期には、馬車馬のごとく働き、この日本を引っ張ってきた世代である。私は昭和54年に調査士会に入会し、今日まで大過なく過ごし、気付けば、還暦を迎えたのかと思えば感無量である。その間、調査士会を取り巻く環境も大きく変化し、不動産登記法の大改正に始まり、筆界特定手続代理業務や民間紛争解決手続代理業務等、今までの調査士業務では考えられなかって業務が新設され、果たしてこれらについて行けるか心配である。
大きく変化している時代であるが、今までは私事ばかりしていたが、これからは少しでも社会に役立つことをしてみたいと思っております。
調査士会においても同じで、第一線は若い人にお任せし、バックで少しでも応援できる仕事をしたいと思っております。
今 年 の 抱 負
元旦 自宅で初日の出に家内安全・商売繁盛を祈願した。
今年48才。 戌年のスタートである。家族は妻、長女(高校2)、長男(小学3)の4人家族です。
゛今年は仕事はあるのだろうか?゛自営業であれば誰でも思うことではないだろうか。
景気がなかなか回復せず不安が多い。しかし今年は「年男」、例年よりはいいことがあるはずだと無理やり自分に言い聞かせている。
運試しに趣味のパチンコに初打ちにでかけてみたが、みごとに返り討ちにあいやっぱり今年もだめかと肩を落としてしまった。
戌は12支のなかで11番目にゴールした動物で、もともと早いほうではない。
仕事も遊びも結果を急がずゆっくりと進みたいと思います。会員の皆様今年も宜しくお願いします。
今年48才。 戌年のスタートである。家族は妻、長女(高校2)、長男(小学3)の4人家族です。
゛今年は仕事はあるのだろうか?゛自営業であれば誰でも思うことではないだろうか。
景気がなかなか回復せず不安が多い。しかし今年は「年男」、例年よりはいいことがあるはずだと無理やり自分に言い聞かせている。
運試しに趣味のパチンコに初打ちにでかけてみたが、みごとに返り討ちにあいやっぱり今年もだめかと肩を落としてしまった。
戌は12支のなかで11番目にゴールした動物で、もともと早いほうではない。
仕事も遊びも結果を急がずゆっくりと進みたいと思います。会員の皆様今年も宜しくお願いします。
今 年 の 抱 負
今年の4月で土地家屋調査士を登録して丸10年になります。
大きなトラブルをおこすことなく、少しづつではありますが、信頼と実績を積み重ねてこれたことに満足しております。
しかし、今日でも業務において自分のやり方が間違いないのか、最善の方法なのか、と悩むことが多々あります。
その度に、情報収集、勉強を心がけておりますが、一番大切なのは自分の考え方を相手にはっきりと示し、常に自分の信念を貫くことだと思います。
まだまだ、技術的にも人間的にも未熟者ではありますが、今の自分があるのは自分の力だけではなく、ご指導を頂き支えてくださった周囲の諸先輩のおかげであり、感謝の気持ちを忘れずにいきたいと思っております。
また、私が事務所を開業しております、新上五島町におきまして昨年の10月11日をもちまして同町に開設されていました長崎地方法務局有川出張所が佐世保支局に統廃合となりました。
地域住民はもちろん、当事務所におきましても、不便さを感じておりますが、今後とも同地域住民の登記行政の円滑な推進のため一層の努力をしていきたいと思っております。
大きなトラブルをおこすことなく、少しづつではありますが、信頼と実績を積み重ねてこれたことに満足しております。
しかし、今日でも業務において自分のやり方が間違いないのか、最善の方法なのか、と悩むことが多々あります。
その度に、情報収集、勉強を心がけておりますが、一番大切なのは自分の考え方を相手にはっきりと示し、常に自分の信念を貫くことだと思います。
まだまだ、技術的にも人間的にも未熟者ではありますが、今の自分があるのは自分の力だけではなく、ご指導を頂き支えてくださった周囲の諸先輩のおかげであり、感謝の気持ちを忘れずにいきたいと思っております。
また、私が事務所を開業しております、新上五島町におきまして昨年の10月11日をもちまして同町に開設されていました長崎地方法務局有川出張所が佐世保支局に統廃合となりました。
地域住民はもちろん、当事務所におきましても、不便さを感じておりますが、今後とも同地域住民の登記行政の円滑な推進のため一層の努力をしていきたいと思っております。
年男へ向けての抱負
念願の土地家屋調査士として、平成13年1月に開業以来、早くも5年の歳月が流れました。自らの年令と共に、いたずらに時を重ねてしまったというのが本当のところでしょうか。最近では諸先輩方の苦労話を御伺いする機会も多く、血の滲むような努力をされ、この業界を築かれて来られた事に対して深く感謝の意を表するものであります。その崇高なる歴史は今後、様々な形で顕彰されて行くに違いありません。
人にも御一人御一人に歴史があるように、土地の一筆一筆にも当然、歴史がある事をこの仕事を通して全く別の角度から学ぶこともできました。その歴史を紐解いたとき、思わぬ発見があり、頓挫した苦境を打開できうる可能性があることをも実感しています。数年前、申請地と周辺隣接地の中の一部に現況と字図が一致しない事例にぶつかりました。一端は字図訂正を検討しましたが、納得がいかず、再度、旧土地台帳と現地積との比較対照を行った結果、隣接地のほとんどの縄伸び率が1. 01〜1.30に収まったのに対し、一筆だけ約3倍にも及ぶ地積更正が強行されていることを突き止めることができました。私にとっては大変、学ぶことの多い事例でした。
明治16年頃より、佐世保には日本海軍の測量班が度々訪れ、その調査の結果、同19年5月4日、時の内閣総理大臣、伊藤博文の勅令により、軍港としての歴史が動きだしました。全国的な地租改正事業の時代背景の中で、佐世保には最先端の測量技術が導入されていたものと推察されます。しかし、佐世保村から佐世保市へ、人口3千から30万へと爆発的な発展を遂げる渦中において、グレン道路と呼ばれるような不可解なる土地の分筆手法も行われていたと聞き及びました。裏を返せば、いくら最先端の測量技術を持ち得たにしても、その結果をどこまで忠実に登記行政に反映できたのかを問われているような気がしています。
歴史を紐解いたとき、技術と法律の両道に精通を目指す土地家屋調査士の使命と責任を僅かながら伺い知ることができました。今こそ初心に立ち返り、足元を固めながら新たなる一歩を踏み出していく決意であります。
人にも御一人御一人に歴史があるように、土地の一筆一筆にも当然、歴史がある事をこの仕事を通して全く別の角度から学ぶこともできました。その歴史を紐解いたとき、思わぬ発見があり、頓挫した苦境を打開できうる可能性があることをも実感しています。数年前、申請地と周辺隣接地の中の一部に現況と字図が一致しない事例にぶつかりました。一端は字図訂正を検討しましたが、納得がいかず、再度、旧土地台帳と現地積との比較対照を行った結果、隣接地のほとんどの縄伸び率が1. 01〜1.30に収まったのに対し、一筆だけ約3倍にも及ぶ地積更正が強行されていることを突き止めることができました。私にとっては大変、学ぶことの多い事例でした。
明治16年頃より、佐世保には日本海軍の測量班が度々訪れ、その調査の結果、同19年5月4日、時の内閣総理大臣、伊藤博文の勅令により、軍港としての歴史が動きだしました。全国的な地租改正事業の時代背景の中で、佐世保には最先端の測量技術が導入されていたものと推察されます。しかし、佐世保村から佐世保市へ、人口3千から30万へと爆発的な発展を遂げる渦中において、グレン道路と呼ばれるような不可解なる土地の分筆手法も行われていたと聞き及びました。裏を返せば、いくら最先端の測量技術を持ち得たにしても、その結果をどこまで忠実に登記行政に反映できたのかを問われているような気がしています。
歴史を紐解いたとき、技術と法律の両道に精通を目指す土地家屋調査士の使命と責任を僅かながら伺い知ることができました。今こそ初心に立ち返り、足元を固めながら新たなる一歩を踏み出していく決意であります。
